2008年9月24日水曜日

9/24 Today 西郷隆盛、城山にて自刃 (1877)

明治10(1877)年9月24日、西郷隆盛は城山で自刃。51歳だった:
西郷隆盛 - Wikipedia: "西郷 隆盛(さいごう たかもり、本名:隆永(たかなが)、文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩)、軍人、政治家。"
摩藩の盟友大久保利通、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び「維新の三傑」と称されるエライ人。その偉さは器量が小さい凡人にはよく理解できないという。

散人も器量が小さいためか、西郷隆盛の偉さがどうもよく理解できないでいる。征韓論を唱えたり、勝算のなさそうな内乱を起こしたり……青年将校に担ぎ上げられ、空気に振り回されてしまった昭和の帝国陸軍の幹部を思い起こしてしまう。

でもあまり悪口を言うとこういうことになるそうだ:

西郷隆盛 - Wikipedia: "NHKの世論調査で、今でも西郷は鹿児島県人に人気が絶大に高く、年長者になるほど神格化されているほど。県民性の本では「鹿児島県人に、西郷と黒豚の悪口を言ったら、生麦事件のイギリス人みたいな目にあう」とまで書かれている。"
くわばらくわばら。

ところで、竹橋の公文書館でこのときの現地からの報告電報の原本を見たことがあるが、明治維新から十年にして鹿児島から東京まで電信用に電線が引かれていた事実には驚いた。近代国家の基盤は通信網にあると見抜いていた大久保利通らの明治政府はやっぱり偉かったのだ。

でも景観には全く配慮しなかったことが、現在まで尾を引いている。明治時代は電信柱と電線の時代でもあった。やたらにあらゆるところに電線を張り巡らした。都市景観は著しく醜いものとなり、永井荷風や夏目漱石を絶望させた。

「秋暑未去らず。終日筆硯に親しむ」、永井荷風『断腸亭日乗』大正9年9月24日の記述。この数日、平成の東京ではようやく蒸し暑さが去って過ごしやすい。「秋暑ようやく去る」と言うところか。

0 件のコメント: